積極観念の養成法

積極観念の養成法

暗示の分析、内省検討、苦労厳禁、
言行の積極化、対人態度の積極化、
正義の実行の六項目からなる
積極観念の養成法を、
熱意をこめて実践していくと、
思考も言葉も行動も、
眼に見えるように積極プラスに転換してきます。

さらに入念に続けていると、
積極的な思考と言葉と行動のパターンが成立し、
身につくことになります。

誰もがひとかどの成功ができ、
人並みの幸福を受けることができます。

世の中には、
消極マイナス的思考、言葉、行動でいく人もいます。
また、積極プラス的態度で生きる人もいます。

それぞれの人生を生きるとき、
大きな差異が生ずることになります。

この心身統一法を実践継続していけば、
あらゆるすべての運命に対して、
現在の自分というものを一歩上に
進ませることができます。
そして健康と繁栄と幸福が
やがて訪れてくることでしょう。


積極観念の養成法

ここで詳述する積極観念の養成法は、
ともすれば多くの人が、実在意識を消極的に
使用するクセのついていることを訂正して、
積極方向で使用する習慣をつけることにより、
心を強化する方法です。

心の全面ではたらいている実在意識に
対する対策です。

潜在意識と実在意識とは、両者相協力して
私たちの心のはたらきを順調に行うものですから、
先に述べた観念要素の更改法とともに、
これから述べる積極観念の養成法も
真剣に実行されることを希望します。

まず積極観念の養成法の
理論から入ることにします。

積極観念の養成法の理論

現代の人々は、理論が解らないと
なかなか実行する気になりません。
正しい理論に則した方法は、
その効果も大きいです。

実践を述べる前に、この方法についての、
正しい理解と、用語の正しい理解です。

精神とは

積極観念の養成法の、精神とは何か。
人の心のはたらき全体をいうことにします。

私たちは五官を通じて、
外界の刺激を取り込みます。

私たちの頭のなかでは、
感覚、知覚、欲求、思考、決意、
意思、運動、言葉というように、
さまざまなはたらきが行われています。

心のすべてのはたらきを、
心身統一法では、精神と呼ぶことにします。
「観念」と「精神」は、同じ内容を意味します。

イッキュウ
イッキュウ

観念とは、

物事に対してもつ考え。

です!

心身統一法では、いかにして心を強くし、
豊かな人生を活きるかという、
人間形成や人生生活を
主目的としていますから、
心のはたらきを一連の流れとして
扱うことにしています。

その方が、心を強く、
豊かにできますし、
実生活に即していると思います。

積極とは

「積極」は心身統一法を貫く一大特徴です。

心身統一法では、まず積極的な人生態度
(思考、言葉、行動、感情をふくめて)を
第一に尊びます。

天風さんは、積極とは、明朗、快活、潑剌はつらつ
颯爽さっそう、勇気、泰然といわれました。

解りやすくいいますと、
明るく朗らかに活き活きと
勇ましく物事に動じないということです。

勇気とは、自己のなかにある
弱さに流されず、踏み止まり、
さらに、これを克服していく心も、
勇気です。

また正しいことを、堂々とやってのける
心も勇気です。
勇気は、私たちの行動を
プッシュ(推し進める)する心の力であり、
また自己統御の心でもあります。

イッキュウ
イッキュウ

自己統御とは、

自分を思いどおりに扱うこと。

です!

いつも、無条件に

世間の人々の明るく、朗らかというのは、
時と場合によりであり、
また条件に大きく左右されます。

ボーナスをたくさんもらうと、
明るく、朗らかになります。
ボーナスをスリに盗られると、
青くなり、落胆します。

ボーナスをたくさんもらったときの明朗さは、
精神力の充実によるものではないです。
お金に支持された明朗さであり、
お金がなくなれば、心は暗く、沈みます。

身体が丈夫で、
仕事が順調に伸びているときなら、
誰でも明朗で快活であり得ます。
これはやさしいことです。

世間の人々は、
「よいときには、明朗、快活、
悪いときには、失望、落胆するのは
当たり前だ」と思っています。

本当の人生態度は、病があればあるほど、
人生困難にぶつかればぶつかるほど、
心は明るく、朗らかに、活き活きと、
勇ましくあるのが本当です。

イッキュウ
イッキュウ

心身統一法を実践継続していくと、
何か難があっても、心の態度を積極的に、

振り替えていけるようになるんです不思議と!

以前は、何かあれば、心はペシャンコに

なっていましたが!

なぜなら、心が病を支配し、
心が運命を支配するからです。

心がエンジンであり、プロペラであり、スクリューです。
病や不運のときほど、
がっちりエンジンは回転しなければならないのです。
エンジンは、晴天の日でも、嵐のなかでも、
快調に活動しなければならないのです。

それと同じように心は、どんな状況であろうと、
いつでも、無条件に、明朗、快活、潑剌はつらつ
颯爽さっそう、積極であらねばならないのです。


これを「絶対積極」といいます。
条件のよいときだけ積極であるというのは、
「相対積極」です。
何かあるのが人生ですから、いざというときに
役に立たない相対的な心では、
人生を乗り切ることはできません。

私たちにとって、頼りになるのは、
いつでも無条件に、明るく、
強い絶対的積極の心です。

時と場合によって、悲観したり、
落胆してもよいとすると、
人は自分勝手な理屈をつけて、
すぐ絶望し、落胆することになります。

絶対積極の心を堅持して活きるのが、
真の人生であると固く決意してほしいです。

この境地を天風さんは、
「晴れてよし、曇りてもよし、富士の山」と、
晴れ晴れとした顔で言われたそうです。

人々の消極性

ところが世間の人々は、人生を生きるとき、
怒り、怖れ、悲しみ、憂うつ、悲観、
もう限界だ、ダメだ、絶望だと、
常に消極的思考、言葉、行動、感情で
生きている人がかなり多いです。
陰気な人です。

胃が少しでももたれると、
胃潰瘍かな、いや癌だ。
困った、しまった、やられたと、
大げさに心配する人がいます。

心配、不安、悲観、絶望していては、
治る病が治らぬことになり、
死ななくてもよいのに
死ぬことになります。

なかには、自分の仕事に自信がない。
とてもやりきれない。
今に失敗するぞと思う人がいます。
失敗を描いていて、成功はあり得ません。

それなのに自分の仕事に、けちをつけ、
育てることをしない。
失敗の方向へ自分で推し進め、
失敗しなくてもよいのに、
失敗する人がいます。

また自分は不幸な星のもとに生まれてきたと、
初めから自分の人生を蹴飛ばし、
泥塗っている人がいます。

自分の命と人生を、
よりよく育てようとはしない。
「こんな女に誰がした」と、他を責める。

生活は、不平不満の愚痴だらけで、
努力はしない。不幸な人生を、
自作自演している人がいます。

消極的な人生態度では、
病と煩悶、失敗と不幸が
発生してくるのは当然のことです。

道なき道を苦労して
運転しているようなものです。
車は壊れ、人は傷つく。

道を知らずして生きる人は、
哀れな人ということになります。

積極の勝利

また一方、人生を、明るく、朗らかに、
活き活きと、勇ましく、
正直、親切、愉快に、颯爽、潑剌はつらつと、
楽しく活きている人がいます。
陽気な人です。

心が明るく、活き活きとしているときは、
自律神経が快調にはたらきますから、
胃腸の具合がよいです。

同時にホルモン系の分泌も順調ですから、
その人にハリとツヤが出てきます。


心が積極的になると、健康が確保されます。
もし万一病になっても、
あれこれと悩みませんから、
自然治癒力が充分に発揮されます。
だから、病の回復は早いです。

そして、活き活きと楽しんで、
世の人々のために働きますから、
仕事は伸びます。

人生困難に突き当たっても、悲観しないで、
創意、工夫して突破していきます。
そこから繁栄が生まれます。

いつも生きていることに感謝し、
家族と共に生きることを
喜びとしていますから、
笑い声がいつも流れてきます。
笑う門には福来るといいます。
幸福がそこにあるのです。

積極的な態度で人生を活きる人には、
健康と繁栄と幸福が待ちうけています。

人の歩むべき道を知り、行く人は、
効率的な人生が活きられます。
努力のしがいのある、
活きる張り合いのある人生が展開します。

人の歩むべき道、それは積極の道です。
積極の道を行く人は、
人生の勝利者になります。

積極の根拠

なぜ、私たちは、
積極的に活きなければならないのか。

積極的に活きると、
健康になり、仕事は繁栄し、
一家が幸福になれるからという答えは、
効果や結果の答えにすぎません。

そのように生きた方が、
得だからという答えも、
いささか考えが浅いです。

もっと掘り下げて深く、
根本的に考えてみなくてはならないです。

生命の本質的なはたらき


第一の理由は、私たちの生きている
生命の本質的なはたらきが、
積極的なものであるからです。

生命の本質的なはたらきは、
生きて生きて、ひたむきに生きて、
生きぬくものです。

単細胞のアメーバも、
自分の体を裂いてまでも増殖します。

植物も、芽を出し、花を咲かせ、
実をみのらせて繁殖しようとします。

蛍も蝉も、相手を求め、
交尾し、卵を産み、
自己生命を子孫に繋げようとしています。
誰に教えられたわけでもないです。

命あるものは、生きて、生きて、
ひたむきに生きるはたらきを、
自然に所持しているのです。

このひたむきに生きんとするはたらきは、
まことに、積極的なものです。
生命のひたむきに生きんとする
はたらきを知っているものは、
人間だけです。

生命の自然の特質(Nature)が
積極的なものであるからして、
人間の生きる営み(Culture)も
積極的でなければならないのです。

生命進化の歴史

第二の理由は、三十五億年に及ぶ生命の進化が、
積極的なものであるからです。

単細胞のアメーバから、多細胞へ。
海を縦横に泳ぎまわる魚類。
陸上生活をめざした両生類。

完全に上陸を果たしたのは虫類。
体の冷たかった爬虫類を、
温かく改造することに
成功したのは乳類。

哺乳類のなかで知的活動に目覚めたのは、
猿グループです。

これを凌駕りょうがしたのが猿人、さらに原人、
旧人、新人と進化したのは、
ヒト・グループです。

単細胞のアメーバから現代人の出現まで、
厳しい地球環境のなかで、
ひたむきに生きぬく命の
三十五億年の進化の歴史は、
まことに積極的なものです。

生命の創造活動により
創り出されたもののなかで、
最高にして、最優秀な生物は、
私たち人間です。

大生命はこれからも
進化していくにちがいないです。
これからの生命進化を担うものは、
人間です。

人間は、素晴らしい力と
知恵を与えられています。
これを創造的に行使して、
進化と向上を
実現していくにちがいないです。

創造活動を活発に進めていくものは、
積極精神です。

生命進化の三十五億年の
積極的な歴史の上に立つ
我を自覚したからには、
私たちは積極的に活き、
創造活動を展開して
いかなければならないのです。

現在生きている命

第三の理由は、
今生きている自分の個の生命が
積極的なものであるからです。

自律神経のはたらき

私たちは夜ぐっすり眠ります。
眠っているときには、
我という自覚意識はないです。

自覚意識はないですが、
私たちは死んではいないです。

肺は呼吸し、心臓は拍動し、
夜中でも消化、吸収は行われています。

私たちは、自分の意識していないところで、
生かされているのです。
夜の私たちは、
生かされている命です。

私たちの意識していないところで、
私たちの命を生かしているものは何か。
私たちにとって、大変、
大切なはたらきをしてくれているのは
自律神経系です。

自律神経は、私たちが意識的に
命令しなくても、自ら動き、
身体を調和的に確保してくれる、
大変ありがたい神経です。

この神経は、夜はもちろん、
昼もはたらき、二十四時間
休むことはないです。

自律神経は私たちの命を生かし、
ひたむきに生かし続けているのです。
大いなる命の、各生命をひたむきに 
生かしぬくはたらきは、
我々の個々の生命のなかでは、
自律神経のはたらきとして
与えられているのです。

生きて、生きぬくはたらきをもつ
我々の個々の生命も、
積極的なものであることが解ります。

反射のはたらき

私たちの身体には、
反射というはたらきがあります。
反射のはたらきは、
私たちの意思や思考によらないで、
物理的刺激によって引き起こされる動作です。

・ボールが自分の顔に向かって飛んでくる。
その瞬間、私たちは眼をつぶる。

・小さなゴミが眼に入る。
これを排除しようとして、涙が出る。

鼻腔びこうに異物が入ると、しきりにくしゃみが出て、
異物を排出しようとする。

たんや異物がのどにつかえると、
これを外に吐き出そうとして、
咳が起こる。

・食べ過ぎや悪い物を食べたときには、
これを外に吐き出そうとして嘔吐おうとが起こる。

・腸まで送られた内容物が吸収できないものか、
量が過剰なときには、早く体外に排泄しようとして、
下痢が起こる。

反射とは、生体の防衛反応です。
すこやかに生きんとする
生命意志からの指令により、
反射は引き起こされるものです。

反射は、生命の生きて、
生きぬくはたらきの表現であり、
積極的なはたらきということができます。

食菌作用と免疫のはたらき

私たちの生体に細菌が侵入すると、
血液中の白血球はすぐさま出動し、
細菌を食い殺し、私たちを感染から
護ってくれるのです。
これを白血球の食菌作用といいます。

生体は、病気にかかりたくないのです。
すこやかに生きたいのです。
食菌作用があることも、
生命の積極的なはたらきの
一つということができます。

生体に侵入した病原体や毒素に対して、
生体が抵抗力を持ち、
再びその病に罹らないという
現象を免疫といいます。

免疫というはたらきがあるということは、
生体も知恵をしぼり、病に罹らない努力を
しているのであるから、これまた積極な
命のはたらきということができます。

恒常性維持機構

私たちの生体が、生きていくには、
うまく生きるための一定の条件があります。
この一定条件を常に保っていこうとする
生体内のはたらきを、
恒常性維持機構といいます。

この機構があるから、
三十度以上の真夏の日も、気温零度の冬の日も、
私たちの体温は、三十六度五分程度に
保たれているのです。

血液の酸とアルカリの程度や、
血液中の糖の量など、生体が生きていくのに
最もよい状態が保たれているのです。

この機構には、酵素、ビタミン、細胞、
そしてホルモンや自律神経などが参加して、
生命が調和を崩さぬよう、
私たちの意識しないところで、
常に努力しているのです。

生命が、バランスを保ち、
順調に進展するように、
統御コントロールする機構があるということは、
生命の積極性を示すものといえます。

命と自然治癒能力

生体にバランスを保つ機構があるとしても、
人間の生き方が常に誤っていると、
そのバランスがついに保てなくなります。

人は病になります。
病になると人は皆死ぬかというと、
そうでもありません。

病を治し、早く病的状態から健全な
状態へと復元しようとするはたらきが、
生体内にあるのです。
自然治癒能力といいます。

猫は自分の傷をめて治します。
人が骨折してもつながり、
傷ついても傷口はふさがります。
自然治癒能力のはたらきです。

細胞もホルモンも自律神経も、
元の健康体に復元しようとして懸命です。

しかもこの能力は、私たちが明るく
朗らかに愉快であるときに、
活発にはたらいてくれるのです。

イッキュウ
イッキュウ

明るく朗らかに愉快に、

日常のこの心がけで、

人間の自然治癒能力が
発揮されます!!

イッキュウ
イッキュウ

この心がけ次第で、

健康面だけでなく、
あらゆる人生が大きく拓けてきますよ!!

私たちの生体のなかに
自然治癒能力があるということは、
生体は病むことを喜ばず、
一日も早く健全な身体に復帰しようと
努力していることであり、
これも生命の積極性を示すはたらきです。

以上述べてきたように、
生命の本質的なはたらきが積極、
三十五億年の生命の進化の歴史が積極、
現在生きている私たちの命が、積極です。

大自然の創造のはたらきで創られた
命の特質(Nature)が、積極的なものであるから、
命を生きる人間の営み(Culture)も
積極的でなければならないのです。

これが私たちが積極に
活きねばならない根拠です。

また命は命らしく扱われたとき、
命のもつ力とはたらきは素直に
発揮されるものです。

命らしく扱うとは、
命を積極的に保持し、
積極的に使うということです。

イッキュウ
イッキュウ

明るく、朗らかに、活き活きと、

愉快に、元気に、潑剌颯爽と!

これを心にもてるよう、

心身統一法を勉強実践していきましょう!

積極な心になれますとも!!

すると命は機嫌よく、そのもつ力と
はたらきを充分に発揮してくれるのです。

その結果、健康と繁栄と幸福が
実現するのです。

このように理解が進んでくると、
私たちはいよいよ、積極的な活き方を
しなければならないです。

積極観念養成法の実際 (六つの方法)

自分の人生を何の定見もなく、
うかつに生きている人は多いです。

だから、心のなかに消極路線が
いつの間にか定着してしまうのです。
これからはいつも、積極を念頭におき、
積極路線を歩むことにしましょう。

イッキュウ
イッキュウ

定見とは、

他人に左右されることのない、

その人自身のしっかりとした意見や考え。

です!

イッキュウ
イッキュウ

心身統一法の実践で、自分の軸を

しっかりつくっていきましょう!!

天風さんの教えられる、
積極路線の確立の六つの方法は、
特に修行法というほどの
いかめしいものではありません。
日常生活の心得です。

これを毎日実行していると、
実在意識に、積極的な思考、
言葉、行動の習慣がつきます。

それがまた潜在意識へと
記銘されていきますから、
心のはたらきが全面的に
積極化の習慣がつきます。

そうなると積極的な思考や
言葉や行動が、すらすらと
飛び出てくるようになります。

こうなるとあなたは、
人生の勝利者となります。
楽しみに実行することにしましょう。

一、暗示の分析

私たちの心のなかに入りこみ、
私たちの欲求や思考や言葉や行動などを
左右してかかる暗示を分析して、
そのなかから、私たちの心を強く豊かにする
暗示を取り入れようとする方法です。

教育も含めて、人は何を見、何を読み、
何を聴き、何を行うかによって、
自己形成をしてきたのです。
みな暗示の取り入れです。

何を取り入れるかによって、
その人が決められるといってよいです。
暗示と人間形成は、深い関係をもつのです。

イッキュウ
イッキュウ

私イッキュウは、これまでの人生で

受けてきた暗示が、

現在の自分をつくっていると、

気がつきました!

暗示の分析の必要性

私たちをめぐる環境からくる
刺激や現象(暗示の素材)は、
必ずしも私たちの人間形成や生活に
役立つものばかりとは限りません。

現代は物質偏重へんちょうの時代です。
人は物とお金で動きます。
価値判断の基準は、物とお金です。

大きな企業がテレビの
スポンサーをしているだけに、
遊べ、飲め、買えよと、
欲望を刺激します。
なかには人の心を
弱くするような暗示もあります。

うっかりしていると、
私たちを弱くするような、
マイナス(消極的)暗示が、どしどしと
私たちの心のなかに入り込んでくるのです。

そこで私たちは、この暗示は自分にとって
有効な暗示か、それとも私たちに悪く
作用する暗示かを、分析する操作
どうしても必要になってくるのです。

分析の基準

私たちにとって、良い暗示か、
悪い暗示かを見分けるためにも、
基準となるものが必要になってきます。

自由主義、社会主義、共産主義などの
主義イズムを基準にすると誤ることになります。
その国、その階級にはよいことであっても、
他の国や他の階級では
受け入れられないこともあります。

日本で良しとしても、
ロシアでは良くないかも知れません。
ロシアで良しとしても、
アメリカでは、否定するかも知れません。

このように、主義に基準をおくと、
混乱し誤りやすいです。
基準となるものは、何人種にも、
また何主義でも、いかなる階級の
人であっても通用する、
普遍的なものでなくてはなりません。

それは何か。命です。
どの人種でも、
いかなる階級の人にとっても、
誰にでも、共通に大切なものは、
命です。

積極暗示と消極暗示

私たちの命を、萎縮させ、
沈滞させ、傷つけ弱くし、
破壊に導くような暗示は、
消極暗示です。

すなわち、憂うつ、悲観、
落胆、絶望、困った、
ダメだ、仕方がない、
死んだ方がよいというような
思考や感情を引き起こす素材は、
みな消極暗示です。

一方、私たちの命を、強く、
明るく、和やかに、豊かにし、
また元気づけ、進歩させ、
向上させるような素材が、
積極暗示です。

すなわち、明朗、快活、
潑剌はつらつ、颯爽、感謝と歓喜などの
思考や感情を起こさせる素材が、
積極暗示です。

私たちは常に接触する暗示を
そのまま鵜呑うのみにしないで、
積極暗示か消極暗示かを
必ず分析してみる必要があります。

その上で、マイナス暗示を捨て、
プラス暗示を取り入れればよいのです。
厳しい分析を通過した暗示が、
「心の栄養」になるのです。

暗示に対して、分析することも知らず、
不用意にマイナス暗示をとりこみ、
心を弱め、暗くしています。

多くの情報が氾濫はんらんしている現代です。
暗示を分析して、プラス暗示をとり入れる
すべを知っている人が、現代を力強く乗り切り、
次の世紀を堂々と進展する人です。

イッキュウ
イッキュウ

この術を知っているか、

知っていないかで、

人生が大きく変わるのです!

ちょっとしたことです!

現象の分析

地球は回り、季節は移ります。
それに応じて、植物も動物も
ひたむきに生きています。

私たちをめぐる現象は、
変化のなかにあります。
変化をするならば、
よりよい向上の変化を
実現して行こうとするのが、
人間の営みです。
変化は、憐れな姿ではないです。
進展のすがたです。

現象をマイナスに受けとり、
自分で自分の人生をわざと
暗くしている人がいます。

カラスが鳴く。
「今日は不吉なことが起こる」
と外にも出ず、家でおどおど
過ごす人がいます。

方角を気にする人がいます。
日の吉凶にこだわる人もいます。
天気の悪い日はあっても、
日そのものが悪いわけではないです。

その人の人生の生き方が、
幸、不幸を決めてしまうのです。

消極的な人は、
何でも悪く受けとります。
消極的な人は、
消極的な暗示にかかりやすいです。

消極的うけとり方の
クセのついている人は、
観念要素の更改法を実践しながら、
現象の分析をして、
積極な受けとり方を徐々に
身につけていくことです。

積極的な人と交際すると、
積極的な受けとり方の
実際を示してくれますから、
効果は早く上がります。
まず現象の分析から始めましょう。

言葉の暗示の分析

言葉は、人間だけが持っている、
心の高度な伝達方式です。

私たちは朝から晩まで
人々の話を耳にし、自らも話します。
言葉なくしては、
人間生活は成り立ちません。

暗示のなかで、言葉の暗示は
さりげないようですが、
人を左右する力は強いです。

それだけに、言葉の暗示の分析は、
慎重に行わなければならないです。

人々は不用意に言葉を使い、
しかも消極的言葉が多いです。

時候の挨拶でも、
「急にお寒くなりました。家では、
みんな風邪をひいてしまいました。
お宅はひいていませんの?
そのうち危ないですね」と、
いわなくてもいいことをいいます。

それを聞いた相手も、
「さあ大変だ。家中が寝こんだらどうしよう」
と心配になります。
言葉の暗示に捕まったのです。

消極言葉を聞くと、
「本当に寒さが身にしみる。
これでは風邪をひくのも当たり前だ」と、
心の張りを崩してしまいます。

心が消極化すると、風邪を迎える
心の準備が整ったようなものです。
その人はすぐ風邪をひきます。

世間の人々は、親切な気持ちであろうが、
消極言葉を大げさに使います。

「あなた、どうしたの。
顔色がすごく悪いわよ。真っ青よ」
と、会社の同僚がいいます。
ショックを受け、急に心配になります。
人の言葉で、ざくりと突き刺された
ようなものです。

人の言葉がきたらすぐに分析して、
消極言葉であったら積極言葉で
応対すればよいのです。

たとえ、消極的な言葉を耳にしても、
それに圧倒されず、しかも相手の人を
傷つけずに積極的な言葉で切り抜けて
いくだけの知恵がほしいです。

「顔が青くても、私、割と元気なの。
グリーンピースみたいに」と、
明るく、可愛く笑顔で切り抜けていく
ユーモアを身につけたいです。

そうでないと、口先だけでやり返してくる、
可愛げのない、いやな奴になってしまいます。

現代の厳しい人間関係を
明るく乗りきるには、
積極性と聡明さと
ユーモアを必要とします。

やはり心しての
訓練トレーニングがなければならないです。
とにかく、言葉の暗示の分析を
心して実行することにしましょう。

訂正暗示

マイナス暗示に注意せよというと、
身を固くして周囲を警戒する人がいます。
消極言葉を耳にすると、「やられた」と、
ショックを受ける人がいます。
神経過敏すぎる人です。

世の中の人は、
言葉の心得などがないですから、
マイナス言葉を平気で発します。
それにいちいち反応していては
マイナスになります。

消極的な言葉を耳にしたら、
「それはマイナス言葉である。
その言葉は、私はとらない」
と心のなかで拒絶することです。

しっかり拒絶した暗示は、
心に侵入しないです。
そして私ならこう表現すると、
心でつぶやくことです。

これが訂正暗示です。
訂正暗示が心のなかで定着することで、
世の中を堂々と生きていくことができます。

まず、人の言葉を分析し、
プラス暗示をとり入れていくこと。
マイナス暗示がきたら、拒否して
さらに積極的表現へと訂正すること。

以上言葉のやりとりで、
これを注意していると、
心は積極的に変化を始めるのです。

マスコミの言葉の分析

近代は、意図的に、計画的に、  
組織的に、大量に、しかも堂々と、
暗示がかけられてくる時代です。

ニュースやドラマで
人々を注目させておいて、
コマーシャルは流されます。

コマーシャルは人々の心に
強く印象づけをして、その商品を
買うという行動を起こさせることを
目的としています。
コマーシャルは、堂々たる暗示です。

「ファイト一発、リポビタンD。
元気ハツラツ、オロナミンC。
スカット、さわやか、コカコーラ」と、
コマーシャルのリズミカルな言葉は
耳に入りやすいです。

コマーシャルは、強度と頻度をもって
私たちに迫ってきます。
毎日何回ものくり返しは、
潜在意識のなかに定着します。

テレビやラジオの言葉も印象も、
わが生命にとって
プラスかマイナスかを分析し、
積極暗示をとり入れていくことは、
人間の生きる基本態度です。

それはまた情報の氾濫する時代を、
健全に生きぬく賢明な手段です。

テレビを見ても、
あくまで自主的態度を堅持して、
暗示の分析をおこたらないでほしいです。

二、内省検討

人々は、心に浮かんだから思い、
思うことをしゃべり、行動しています。
不用意に思い、迂闊うかつに喋り行動しているから、
その人生は粗忽そこつなものになり、
失敗が多くなります。

イッキュウ
イッキュウ

粗忽とは、そそっかしくて、

おっちょこちょいなさま。

をいいます!

心のはたらきの主流は、思考です。
ここでは、主として、
思考を扱うことにします。

積極的に活きることを
念願としている私たちにとって、
内省ないせい検討ということは、何としても、
ゆるがせにできない手段です。

内省とは、心の内で自分を
深くかえりみることです。

ここでいう内省は、
心の内容や動きについて、
深く省みるのです。

検討とは、物事をいろいろの面から、
詳しく調べ、その良し、悪しを
考えることです。

ここでの検討は、
積極か、消極かの検討です。

思うこと考えることの内容や、
その方向性が積極的なものであるならば、
これを良しとして推し進めます。

これが消極的であるならば、
これを否として止めるのです。

それを難しいと思うのは、消極思考です。
事実、難しくないのです。
積極的な方が生命的であるから、
積極的な思考に生命は喜びを感じます。

ですから積極思考が、早く楽しく、
身につくのです。

イッキュウ
イッキュウ

私イッキュウは、今自分が

思っていること、考えていること、

抱いている感情が、積極か消極かを

第三者の目で、客観視するようにしています!!

「心こそ、心まどわす心なれ、
心に心、心ゆるすな」という歌があります。

心の動きを野放のばなしにしてはいけません。
積極という法則に従って
思考の訓練をすることが、
人間をよりよく構築する基礎です。

これで、検討の標準は理解しましたが、    
次に検討する人の態度について述べます。

検討するには、冷静に、感情をまじえず、
厳しく行わなければならないです。

状況が状況だから、
悲観しても仕方がないよと、
自己同情してはならないです。

先方の出方がひどいから、
落胆するのも無理はないと、
自己弁護してはいけないです。

自己妥協していては、事実はゆがみます。
思考は言葉となり、行動として表現されます。
思考を誤ると、人間生活が間違うことになります。

厳しく断定して、マイナス思考態度で
あるなら放置しないで、速やかにプラスへの
転換を計らなければならないです。

積極的人間形成は、思考の厳粛な検討と
監視から始められるのです。

内省検討の実際

「暗示の分析」を、教えられた日から
懸命に実行したとしても、
それまでに、長い間、消極暗示を
不用意に多くとり込み過ぎていると、
潜在意識内にある消極素材は、
しばしば実在意識へと浮かび上がり
(再生・想起)思考を消極的に形成し、
思考の方向を消極方向へと
進めてしまいます。

人々は、この事実を知らないです。
心に心している人など、滅多にいないです。

実在意識領で、
過去の曲者くせもの跳梁ちょうりょうするままに思い、
思ったことをしゃべり、行動しています。

人は、自分の心のはたらきを、
常に監視し指導して
いかなければならないのです。

潜在意識のなかに、積極的素材を
取り込んでいく観念要素の更改法を
実践するとともに、さらに暗示の分析で、
積極的関門を厳重にし、その上、
消極的思考が跳梁ちょうりょうしないように、
どうしても内省検討を入念に
行わなければならないのです。

半分のお酒

銚子ちょうしのなかのお酒を見て、
「なんだ、もう半分しかないのか」
と消極的思考をし、マイナス言葉を口に出す。
妻をにらみつけ、「酒を買ってこい」と
子供を怒鳴る。

消極的思考は、マイナス言葉で表現され、
消極的感情を爆発させます。
この父親は、一家を不幸につき落とす
張本人であるのに、気がつかず、
威張っているのだから始末が悪いです。

ところが一方
「まだ半分あるぞ、これはよかった」と、
積極思考とプラス言葉と
積極感情で喜ぶ人もいます。

「母さんも、一杯やらないか」と
妻にもさかずきをあげ、楽しく飲み、
明るい家庭をつくる人は、
一家を幸福に導く積極人間です。

どうせ、お銚子ちょうし半分のお酒を飲むなら、
なぜ、積極的態度で飲まないのか。
積極と消極の対照コントラストを示す一例を示し、
積極的態度を奨励しているのです。

積極態度で事に対処すると、
まずお酒のおかんをつけた奥さんが
嬉しい気持ちになります。

料理を作った娘さんも喜びます。
機嫌よく飲めば
「よい人に飲んでいただいた」と、
お酒の醸造元も喜ぶでしょう。
またお酒を運搬したトラックの
運転手さんも嬉しことでしょう。

積極的な態度は、人を生かし、物を生かします。
そこから、繁栄と幸福が生まれるのです。

家計のやりくり

椎茸しいたけ、昆布、鰹節かつおぶしと、
うま味を使った料理でも、
不味まずい」という亭主がいる。

料理が不味いのではない。
心が貧しいのです。
不平不満で心が
イライラしているときには、
何を食べても、おいしくない。

このような消極亭主には、よくしたもので
消極女房がついているのです。
「今月二十五万で家計をやれ」
と夫にいわれると、
「今月、今月というけど、大分前から、
家計費を上げてくれないじゃないの。
物価は上がる一方だし、上がらないのは、
あなたの月給だけでしょ」と、
皮肉をこめて妻は噛みつく。

「文句をいうな。やれといったらやれ」
と夫は怒鳴る。
「やればいいんでしょ」と、女房は、
ふくれ面をして、ふてくされる。

物事は、最初が肝心かんじんです。
第一ボタンをかけそこなうと、
後のボタンはみな、
かけそこなうことになります。

この夫婦は、消極において
似たもの夫婦です。
消極であることに気がつかず、
内省検討など知るよしもないです。

夫婦そろって不幸になることは
目に見えています。

「あなた、もう六千円しかないの。
もう四千円だけなの。もう二千円こっきりなの」
と夫の顔さえ見れば、「ない、ない」と
いっている奥さんがいます。

「あなた、まだ六千円あるの。
四千円も残っているの。二千円も余裕があるの」と、
積極的な思考と言葉と態度で使っていると、
もっと楽しい家庭生活が送れるはずです。

「まだ二千円もあるの」という奥さんの
明るい声を聞くとご主人の機嫌もよくなります。

消極的態度で家庭生活が
うまくいくわけがないです。

思考の転換

昔からいい古されてきた
話ではありますが、
プラスとマイナスの見方を
明確に示している例え話です。

昔、京都の橋のたもとに、
泣き虫ばあさんと
いわれる老婆がいました。

お天気がよくて泣き、
雨が降っては泣く。
年がら年中、泣いていたといいます。

ある日、通りかかったお坊さんが、
「どうして、そんなに泣くのか」
と尋ねました。

「お坊さま聞いてくださいませ。
私には二人の息子がおります。
一人は草履ぞうり屋で、一人は唐傘からかさ屋でございます。

雨が降ると、
『草履屋の息子は、儲からないだろう』
と思い、可哀想で泣くのです。

お天気がよいと、
『傘屋の息子はさぞ儲からないだろう』
と思い、泣くのです。

曇った日は、
『二人とも儲からないだろう』と思うと、
二重に悲しく泣くのです」という。

「そりゃお婆さん、考えが違うよ。
お天気がよい。それ、
草履屋の息子は儲かるだろう。

雨が降った。それ、
傘屋の息子は儲かるだろう。

曇った日には、それ、
両方儲かるだろうと思えば、
一年中儲かるだろうさ」と、
さとしたら、「そうだ、そうだ」と
お婆さんは、泣かなくなったといいます。

お婆さんは、消極的見方から、
積極的見方へと転換したのです。

人生を生きるからには、
積極的人生観で生きるのが本筋です。

ステッキの話

四十代の夫婦が欧州旅行をしました。
パリで素敵なステッキを手に入れました。
おしゃれなステッキを振りながら、
旅行は一段と楽しいものになりました。

無事成田に着き、家に帰って荷物の
整理をしましたが、ステッキがありません。
空港に電話をしましたが、
ステッキは見つかりませんでした。

「俺はついていない男だ。
いいことがあっても、最後はいつも
どんでん返しで不幸になる」
と夫は嘆きました。

すると奥さんが、
「あのステッキのおかげで欧州旅行は、
とても楽しかったわね。あのステッキは、
私たちを成田まで、無事に送りとどけて
くれたのよ。責任を果たしたステッキは、
またパリに帰っていったのよ」といいました。

妻の言葉に、
「お前は、何てよいことをいってくれるのか。
嫌な気分に落ち込んでいる俺を、
さらっと救ってくれる。ありがとう。
お前は一生、私から離れないでそばにいてくれ」
と、夫は妻に感謝したといいます。

奥さんは、積極思考とプラス言葉で、
夫を救ったことになります。
夫のように考えれば、ステッキをなくした上に
欧州旅行にはけちがつき、心は暗く、
憂うつになり、二重にも、三重にも
傷害を受けることになります。

積極思考が、
人生の幸福を創るということが、
充分納得いただけたと思います。

内省検討という検問を、
思考がいつも積極的に整えられて
通過していくと、それが習慣になって、
積極的思考がすらすらと出るようになります。

そうなると、思考、言葉、行動、
感情と積極化が進み、その人の人生が
好転することになるのです。

三、苦労厳禁

内省ないせい検討で、思考をはじめ、
厳しく心の動きを内省したとしても、
私たちはそれまで長い間、
消極的素材を不用意に心のなかに
取り込みすぎています。

私たちの潜在意識のなかには、
積極的要素よりは、消極的要素の方が
分量多く詰まっていると
見なくてはならないです。

そのマイナス要素が、
しばしば実在意識領へと飛び出してきて、
わがもの顔に振る舞い、思い方を
消極的方面へと引きずっていくのです。

うっかりしていると、実在意識は
消極的要素の跳梁ちょうりょうの場になるのです。

それを厳重に監視し、
跳梁を防いでいく心の操作が、
苦労厳禁ということです。

ここでの苦労とは、世間でいう、
苦心し努力するという意味ではありません。

無駄な心の使い方を、苦労というのです。

心のエネルギーを消耗し、
心もからだも疲れさせる
無益な心の使い方のことです。

それは、消極的な心の使い方です。

何をさせても不器用であるのに、
苦労だけは実にうまい人がいます。
世間では苦労性の人といいます。

苦労性の人は何につけても
苦労をしますが、ここで時の経過で
苦労を分類し、心の動きを厳しく
監視することにしましょう。

持ち越し苦労(過去苦労)

過ぎ去ったことを、
後悔ばかりしている人がいます。

あのとき宝くじを買っておけばよかった。
あのときあの株を買っておけば
大変上がって儲けたのにと、
過去のことを後悔し、歯ぎしりして
悔しがっている人がいます。

何もやってないことを後悔しても
仕方がないです。やって失敗したことは、
その失敗の原因を究明して、再び失敗を
繰り返さないように努力するのが、
積極思考です。

ただ悔しいだけの後悔は、
まったく無駄な心の使い方です。

心が持ち越し苦労を始めたら、
すぐ気づいて、苦労厳禁の
断固たる命令を出すことです。

そして連想法で述べたように、
楽しく明るいことの方に心を
振り向ける努力をすることです。

過去苦労にとっぷり浸かって
いてはならないです。

現在苦労

現在ただ今の人生に対する現在苦労に、
悪戦苦闘で取り組んでいる人がいます。

人生を生きるためには、心を積極的に、
堂々と使わなければならないです。
それなのに、何の効果もないことに、
心を無駄に使い悩んでいる人がいます。

「南海トラフ地震がきたら、どうしよう」
「災害避難に遭えば、どうしよう」
「突然の交通事故に遭えば、どうしよう」など、
心配すればきりがありません。

最低限の備えと、準備、
心構えがあればいいわけです。

無駄なことに心のエネルギーを
懸命に使うから、よい方に心が回りません。

消極思考に実在意識が完全に
牛耳られている状態です。
心が消極思考に引きずられています。

何の効果もないです。
身も心も消耗するだけです。

これを許しておくと、
消極思考のクセがつきます。

「現在苦労やめ!」と大喝だいかつし、
楽しいことへと思考を
誘導していくことです。

取り越し苦労(未来苦労)

これからのことを悪く想像し、
その上に立ってさらに悲観的に考え、
その上に立ってさらに絶望的に考えます。
消極思考の想像の積み重ねです。

これほど無駄な心の使い方はないです。
しかし世間では、取り越し苦労といい、
このたぐいいの人が多いです。
身も心も疲れ果ててしまいます。

未来に向かって心を使うときは、
明快な頭脳と積極的な思考で
行わなければならないです。

それが未来への周到な計画です。
失敗計画を立てる人はいないです。
いざ緊急の場合の処置を考えるのは、
危険の管理で積極思考です。

消極的思考は不安や恐怖をともない、
思考の混迷を招き、
長期計画もできなければ、
ただ今の判断すらできないです。

先々のこと消極思考で
取り越し苦労しながら、
現在、ただ今を次々と
失敗している人は、
懐中電灯を遠くに向けながら、
足下の石につまずく人です。
心の使い方を知らない人です。

未来苦労をしている自分に気がついたら、
大声一喝、「無駄な心の使い方を止めよ」
と叫び、眼前の花の美しさを
見つめるのがよいです。

心は現在を要す

過ぎ去った過去のことを
いくら悔やんでも、
仕方がないことです。

未来のことを消極的に想像して、
あれこれ悩んでみても仕方がないです。

昔から「心は現在を要す。
過ぎたるはうべからず、
来たらざるはむかうべからず」
といいます。

これを日本の古歌では、解りやすく、
「さしあたる、その事のみをただ思え。
過去は及ばず、未来知られず」
といいます。

私たちは、現在ただ今に生きる以外に、
生きることはできないのです。
そのただ今現在も、今という間に
今は過ぎていきます。
今はすぐ過去になっていくのです。

現在を正し、充実して活きることは、
悔いのない充実した過去を
創ることになります。

正しく充実した現在は、
輝く未来を創ることになります。
過去の結果として現在があり、
現在は、未来を創る原因となります。

私たちは、現在、ただ今を充実させて
活きればよいのです。
これが、心は現在を要すということです。
決して刹那主義ではないのです。

過去、現在、未来に対して、
消極的で無駄な思考は断然
しないことにしましょう。

そして明快な頭脳で、
積極的態度で、
現在に徹していきましょう。

死ぬまで明るく、積極的に

人間の個の生命は有限です。
人は誰しも死ななくてはならないです。
死は生の終わりであり、
悲しい出来事です。

だからといって、毎日を
泣き暮らすことはないです。

また、どうせ死ぬ命だといって、
粗末に扱い、傷つけることはないです。

この時計は二十年もすれば壊れるだろう。
だからといって、現在ただ今から、
時計を乱暴に扱い、
壊すことはしないでしょう。

死ぬまでは生きているのですから、
生きている間は自分の責任で、
日々を精一杯、明るく、活き活きと、
充実した人生を活きるのが
本当の活き方であり、幸せです。

たとえ将来、暗い結果が予想されたとしても、
そのときまで明るく活きよというのが、
天風哲学です。

初めからダメだと投げ出して
しまったような人生は、
一層辛くなるだけです。

暗い結果が予想されたとしても、
積極態度で活きた方が、
暗い結果を好転させる確率は高いです。
現在ただ今を、積極的に充実して
活きることにしましょう。

心身統一法を精進していると、
個生命の死は、大いなる生命の
発展のすがたであるということが、
次第につかめてくるのです。

イッキュウ
イッキュウ

この世に人間として生まれてきた幸運!

また世界では、紛争、貧困であえぐ人たちが多いなか、

平和で安全で自由な日本に生まれたことに感謝です!!

イッキュウ
イッキュウ

心身統一法を、実践勉強していると、

自分がどれだけ恵まれているかに、

だんだんと気づかされてきます!!

心の尊さ

心は心配するためにあるのではない」と、
凛とした天風さんの言葉に、
目の覚める思いです。

生物三十五億年の進化過程の先端を生きる、
人間の新皮質にある百四十億個の脳細胞を、
心配、苦労、煩悶のために使ってはならないです。

「人間は、考えるあし」といわれます。
思考作用こそ、人間を他の動物と
区別する優れた特質です。

「この優秀な特性を、
苦労や悲観や落胆のみに使うとすれば、
人間としての資格を放棄したことになり、
人間の面汚つらよごしである」と、
天風さんは強い口調でいわれました。

心は心配するためにあるのではないのです。

心の使い方を誤ると、
もだえ、苦しみ、悩むことになります。

人の心は、明るく、強く、
豊かに堅持して、自己の健康を確保し、
研究を推し進め、仕事を繁栄させ、
幸福を築き、文化を創造し、
人類社会を進化させ、向上するために
使わねばならないのです。

大切な、素晴らしい心を、
泥だらけにするような使い方は、
断じてしてはならないのです。

苦労の厳禁に努めることにしましょう。

苦労の克服

無益な苦労を、どうして克服することが
できるでしょうか。

先に述べました、潜在意識内の消極的要素を
積極的要素へと入れ替えていく、
観念要素の更改法を入念に行うことです。
それから「暗示の分析」を、
心して行うことです。

これにより、心にとって栄養価の高い、
積極暗示のみを摂取することになるのです。

そして「内省検討」を厳重に行うことです。
ここで消極的な思考をはじめ、
マイナス欲求や感情がチェックされ、 
積極的なものだけが通過し、
表現されることになります。

イッキュウ
イッキュウ

日常生活のなかで、今現在思っていること、

考えていることが積極か消極かを、

常にチェックするクセをつけることです!!

これらの有力な方法を、日常生活のなかで
おこたらず実行していくと、
消極的な心のルートは次第に消され、
一方では積極的な心のルートが建設され、
頻繁ひんぱんに使われますから、いつの間にか苦労は
姿を消していくのです。

心に何の対策もほどこさず、
野放しにしていたから、
環境からの消極的暗示が心に侵入し、
別に努力したわけでもないのに苦労のクセがつき、
いつしか苦労のベテランになってしまったのです。

これからは、観念要素の更改法、暗示の分析、
苦労の厳禁という有力手段を実行していくと、
積極的思考の習慣が成立してきます。
半面、消極的思考は次第に影をひそめていくのです。

天風さんの教えられる各法は、
関連し合いながら効果を顕著けんちょにしていくものです。
心は、人生を支配します。

その心をつくる責任者は、自分です。
情熱をもって諸法の実践に努めましょう。

四、言行の積極化

「観念要素の更改法」では、
潜在意識内の消極的要素を、
積極的な要素へと
入れ替えることを試みました。

「積極観念の養成法」の第一項目の
「暗示の分析」では、積極的暗示・素材を
極力心にとり込むことに努めました。

第二項目の「内省検討」では、
私たちの心のなかで動く思考や
欲求や感情などを、厳しく検討し、
積極的なものを選択し、取り上げることに
充分気を配りました。

第三項目の「苦労厳禁」では、
ともすれば浮かび出てきて消極的に
心を動かす取り越し苦労を、
極力排除しました。

これだけの手段を心に施すと、
私たちの心のなかの消極的要素は
次第にその影をひそめ、
心のなかは積極的要素で
満たされるようになります。

ここまでが積極観念を養成する基礎工事です。
これからは積極的要素を、言葉や行動として
表現していこうとするのが、第四項の
「言行の積極化」です。

ここから積極の具体的活動に入るのです。

積極パターンの形成

思考と言葉と行動を積極的に
使うことを常に心して実行していると、
大脳細胞相互の連結が、
積極的類型パターンを形成してきます。

すると、常に積極的に思考し、
明るい言葉を発し、
颯爽たる行動をとる習慣ができます。
習慣は、第二の天性といわれています。

「何かあるのが人生だ」と、
天風さんはよくいわれました。

人生航路の中途、何かが生じ、
何事に遭遇しようとも、
積極路線が形成されていると、
泰然としてこれに応接し、
ひるむことなく乗り切ることができるのです。

この積極路線を大脳に形成するのが、 
「言行の積極化」のねらいです。

そして積極的思考、言葉、行動で
実生活を活きぬき、健康と繁栄と
幸福を獲得してもらいたいというのが、
その奥のねらいです。

思考と言葉と行動

意識革命や性格改造など、
相当困難なことであるといわれていますが、
言葉から始めるとその端緒たんちょが開け、
達成しやすいです。

イッキュウ
イッキュウ

端緒とは、「物事のきっかけ」や

「いとぐち」という意味です!

思考の弱い人は、
その口にする言葉も弱く暗いです。
思考の明るい人は、
その発する言葉も明るく、活気があります。

逆に、弱く暗い言葉を使っていると、
その人の思考は弱くなり、暗くなります。
明るい、活き活きとした言葉を使っていると、
その人の思考も、明るく、爽やかになります。

言葉と思考は、連動しているのです。
思考が明るくなれば、明るい、豊かな人生を
建設することができます。
言葉の力は大きいです。

また人の思考内容は、行動として表現されます。
そしてその人の人生を、左右してかかります。
言葉―行動―思考―心―人生
これは、まことに重大な関係をもつものです。
人々は、これに気づいていないです。

実は、これは、人生建設の重大なカギです。
消極的な人の言葉と行動は、
その人を病と煩悶と不幸へと、
落とし込みます。

その人の積極的な言葉と行動は、
その人を健康と繁栄と幸福へと導きます。

私たちは、言葉と行動で生活しています。
その人の言葉と行動が、その人の人間形成に
強く関与し、人生を左右してかかることは、
当然の理です。

人生を価値高く活きることを
念願する私たちは、自己の言葉と行動の積極化に
厳しくも心せねばならないです。

言葉の積極化の実践

正しい理論に基づいて、正しい実践が
行わなければならないです。
そうすれば、よい結果が生まれ出てくるのは、
当然のことです。

他に対する言行の積極化は
次の項で扱うことにして、
ここでは、自己の言葉についての実践から、
始めることにします。

消極的言葉は断じて使わない

人類の特徴は、火を使い、道具を使い、
言葉を使ったことだといいます。

言葉は、人間が意思や思考を
通じ合わせるための道具ですが、
実は言葉には、人間形成や人生に
大きな関わり合いがあります。
それなのに人々は、言葉を粗末にし、
悪く使っています。

夏には、「暑くて、苦しくて、やりきれない」といい、
冬には、「寒さが身にこたえる。もう年ですね、
ダメね」という。

人々は消極言葉で、愚痴ぐちをいうことが
常識になっています。
人々は不用意に消極言葉を使い、
心に泥を塗り、命を傷つけています。

言葉は感情を引き起こすということを、
人々は知らないでいます。

「俺は、ダメだ」といえば、劣等感が湧きます。
「困った、どうしようか」といえば、不安が出ます。
「限界だ。お手上げだ」というと、絶望感が走ります。

失敗を心に描き、失敗を口にしていて、
成功はあり得ないです。
消極的言葉を出せば、言葉は自分の耳に入り、
自己暗示となり、ますます自分を消極状態へと
追い込むことになります。

また消極言葉は、周囲の人々には、
他面暗示となります。その人は周囲に、
細菌をまき散らしていることになります。
消極言葉は、自分にとっても、
周りの人にとっても、悪い影響を及ぼします。

これからは、「困った。参った。しまった。
限界だ。やりきれない。死んだ方がよい」
などの消極的言葉は、断然、
使わないようにしましょう。

積極言葉を使おう

消極言葉を口にしなくなっただけでも、
心はどれほど、明るくなるかわからないです。
さらに積極言葉で活きるならば、
人生は一層力強いものになってきます。

消極言葉に慣れた人は、消極的表現に巧みであっても、
積極的表現には戸惑うかもしれません。

将棋に負ければ、「負けた」という消極語で
表現する以外にないではないかといいます。
積極人間なら、相手に向かって「君、勝ったね、
おめでとう。今度は私が勝つぞ」というでしょう。
初めはやせ我慢のように思えますが、
積極的言葉を使ってみることです。
次第に上達してきます。

くしゃみが出たとき、
「おお寒、さては風邪をひいたか」というと、
消極言葉と恐怖感情で、
本当に風邪をひく方向へと
自分を追い込むことになります。

「よし、運動をして身体を温めよう」と言葉に出し、
実際に体を動かすという行動をとれば、 
風邪をひかないですみます。

積極思考と積極言葉と積極行動が、
健康を確保するのです。

病になっても「やられた。病には勝てぬ。
もうダメだ」とはいわずに、
「病になったこということは、今までのような
生き方をしていてはいけないという、天の警鐘けいしょうだ。
ここで生活の厳しい反省をしよう。
治療も素直に受けよう。思考と言葉を積極化して、
自然治癒能力を大いに発揮して、早く回復して、
よい仕事をしよう」と思考し、言葉に出すことです。
病に回復は、早くなるのは当然のことです。

災難に遭えば、悲観、落胆しないで、
「何かあるのが人生だ。これくらいのことで、
へこたれてたまるか」と、自分を勇気づけることです。

それには日頃から、「よし、一番、やるともさ、
必ず成しとげるぞ」と、強く、明るく、勇気ある、
雄々しい、積極言葉で活きることにしましょう。

自己激励せよ

遠足に行き、遠距離を一日歩いた。
「ああ、疲れた」と言葉に出すと、
疲れはひどくのしかかってきます。
自己を消極状態に追い込んではならないのです。

「今日の遠足は楽しかった。さあ、
お風呂に入って食事をしよう。
そして眠れば疲れはとれる。明日元気で
学校へ行き、友達と楽しかった遠足の話をしよう」と、
積極思考と積極言葉で自分をもり立てることです。

「ああ、悲しい」と言葉にすると、
悲しみはさらに深くなります。
母の死は、悲しみの極みです。

ですが、悲しみのなかに埋没まいぼつし、
涙にくれることが、親孝行ではないです。
悲しみは越えていかなければなりません。

母から生まれ出た私である。
母の命は、私が受け継いでいる。
私の命のなかに、生きている。

だから私が、自分の心と身を
すこやかにすることが、母への孝行である。

自分が仕事をして、世の人々に役立つならば、
母の命の社会的展開である。
よし仕事をするぞと、そのように考え、
言葉を発するならば、悲しみから脱却し、
仕事に励むことができるのです。

自分の責任者は、自分です。
消極のなかに自分を放置してはならないです。

気をつけていたつもりでも「ああ、困った」と
口に出してしまい、これは消極語だと
気づくことがあります。

そのときは、「ああ、困ったと、昔はいった。
今はいわない。何としてもこの事態を
切り抜けてみせるぞ」と、力強くいいきればよいのです。

「困った、困った」と下を向いていては、
いい知恵は生まれてこないです。
「よし、よい知恵を出すぞ」と自己暗示をして、
静かに、安定打坐法あんじょうだざほう(天風式坐禅)をするのがよいです。

イッキュウ
イッキュウ

あらゆる人生問題を解決させる、最高の道具、

天風式坐禅法は、のちほどです!!

人生山河、さまざまな境涯に
遭遇することがあっても、
決して悲観、落胆、絶望してはならないです。

天風さんは、「人間、息をしている限り、
希望を失うな」といわれました。

私たちはあくまで、積極思考と積極言葉で
自分で自分を元気づけ、勇気づけ、
奮い立たせていかなければならないです。
これを自己激励といいます。

行動の積極化の実践

積極の理論は、充分理解しました。
積極思考や積極的言葉が、人生をいかに
左右するのかも理解しました。

ですが人生は理解では決まらないです。
実践で決まるのです。
思考の実践、言葉の実践と、
試みてきた私たちです。

行動の実践まで、自己を推し進め
なければならないのです。

消極行動の人

消極的人間は、まず朝、さっと目が覚めない。
目が開いても、床のなかでぐずぐずしている。
妻に何度も起こされても、起きない。
「会社に遅れますよ」といわれると
「そんなことわかっている」といいながら、
起きない。できない人です。

時間ギリギリまで寝ている者もいる。
時間がないから、ネクタイを締めながら
パンを食べる。
こんな慌ただしい思いをするなら、
なぜ三十分早く起きないのか。
理屈ではわかっていながら、
実践できないのです。

あわてて家を飛び出す。だから忘れ物をする。
途中で気がつき、あわてて取りに戻る。
忘れ物を気づかぬまま、
会社に行ってしまう者もいる。

朝の電車は、ひどく混む。
会社に着いたときには体力は消耗していて、
朝から疲労している。
課長の声がかかり、報告書の不備を指摘される。
態度も指摘され、二重に叱られ、
怒りがグッとこみ上げる。
自分の行為のミスに対する反省がない。

一日中、会社でブスッとした
顔をしているのだから、
他に悪い印象を与える。
人間関係がよくなるわけがない。

会社が終わっても、朝叱られたことが
尾を引いている。
家に帰ってきて、妻に当たる。
妻に落ち度がなければ、娘に当たる。

怒りというマイナス感情が発せられると、
夫から妻へ娘へと、次々とマイナス行為が
波及していきます。

このような行動形式をとって
よいわけはありません。
そのたびに人間の情緒は荒れ果て、
家庭は暗く不幸となり、
人間関係は悪くなるばかりです。

人生を生きていくとき、マイナス的な
仕打ちを受けることもあります。
しゃくに障ったからといって、
他に波及させてはならないです。

たとえマイナスが波及してきたとしても、
観念要素の更改法と積極観念の養成法を
実行している私たちは、濁流だくりゅうを清流にして
流すことができます。

これができる人が、世の光であり、
地の塩といわれる人です。

私たちは何としても、消極的行動から、
積極行動の人間へと
転換しなければならないです。

そしてプラスの連鎖反応を
割り出していきたいのです。

積極行動への転換

ここで積極人間の朝について
話すことにしましょう。
皆さんは朝、どんな気持ちと態度で
目を覚ますでしょうか。

イッキュウ
イッキュウ

私イッキュウは、朝目が覚めると、

ニッコリと笑って、今日も生きていることを

実感して、感謝しています!

イッキュウ
イッキュウ

笑われるでしょうが!!

人々は、毎朝目があくものと思っているようです。
五年か十年先にも目はあくでしょうが、
五十年もしたある朝のこと、
目をあこうとしても目があかない。

近所の人たちが来てお悔やみをいっている。
誰かが死んだにちがいない。
自分の目があかないところをみると、
さては死んだのはこの私だ、
という朝が必ずきます。

別に取り越し苦労をしているのではないです。
それは誰にとっても事実です。

人々は、命についての考えが間違っています。
「命は、自分のものである」と、
人々は思っています。
それが誤りです。

「本当に自分の命なら、冷蔵庫にナフタリンを入れて、
千年も、二千年もなぜ保存しておかないのか。
死神が命をとりにきても、俺の命だと所有権を
絶対渡さなければいいではないか」と、
天風さんは講演中によくいわれたそうです。

よく考えてみると、わが命は完全に
自分のものではないのです。
オギャーと生まれたとき、
大いなる生命からお借りしてきた
わが個の生命です。

一生、大切に使わせていただいて、
時がきたらお返ししなければならない
わが命です。
お返しするときが、死です。

本体的にみると、わが命は、
お借りしている命です。
現象的にみると、お借りしている間は、
わが命です。

本体的であろうと、現象的であろうと、
わが命は、大切にしなければならないことには
変わりはないです。

哲学者ニーチェは、
「人間は生まれながらにして、死刑囚である。
ただ、死刑執行日がわからないだけだ」
といいました。事実は、その通りです。

悟りを開いたという釈迦も、道元も、
死んでいます。
個の生命は有限です。
誰しも死すべきものです。

「死すべきもの、人間」と知るならば、
せめて生きている間だけでも仲良くできないのか。
それも縁あって、夫婦となり、親子となり、
兄妹となり、また同じ職場で働くのは、
よほど縁が深いのです。
お互いいつくしみ合っていかなければなりません。

有限の時間のなかで生きている私たちです。
桜の花のように散ってしまっても、
文句のいえない私たちの命です。

朝、目があいたことは嬉しいことです。 
目があかなければ、
永遠の眠りについたことになります。

目があくことは、生きていることです。
「ありがとうございます。今日、この命、
私にお任せくださいますか。
食べ物に注意して、下痢など致しません。
ぼんやりして車の事故など起こしません。
この命、私の責任において価値高く
活かさせていただきます」といっても、
罰は当たらないでしょう。

それを「なんでまた目が覚めたんだろう。
さっき寝たと思ったのに、もう目があいてしまった」と、
目のあいたことを恨んでいる人もいます。

「こんな人間には、
早く永遠の眠りがやってくるだろうよ。
三日も目があかなければ、
焼き場に持っていかれてしまうよ」と、
天風さんは笑いのなかに鋭い風刺を込められて、
よく話されたそうです。

積極人間の朝は、
生きていることの喜びから始まります。

積極人間の朝

目があいたら先に述べました断定暗示をします。
生命が存在していることを心から感謝して、
ニッコリ笑って「ありがとうございます」
と言葉に出し、布団を蹴飛ばして起きます。
冬もです。

そこで「一晩、お世話になりました。
今夜もまたよろしくお願いします」
と口に出しながら、布団をたたむのです。

イッキュウ
イッキュウ

私イッキュウも、朝布団をたたみながら、
一晩お世話になりありがとうございました。
今夜もよろしくお願いします!

と口に出していっています!

笑われるでしょうが!!

今夜よろしくなかったら、どうしますか。
交通事故で入院でもすれば、
よろしくないことになります。

今夜もまた、この布団のなかで足を伸ばし、
ゆっくり休ませていただけることは、
嬉しいことです。

人生の三分の一もの時間をお世話になる布団を、
感謝を込めてたたむことにしましょう。

子どもと一緒に布団をたためば、
子どもにもよい習慣がつき、
自主性を持ったよい子が育つでしょう。

天風会員は、呼吸各器官を強化する、
呼吸操練こきゅうそうれんを行います。
七億五千万個の肺細胞は、酸素を充分吸いこみ、
身体各部に送りこむので、身体は、
グングン活気に満ちてきます。

そして、日頃使わないですましがちな
筋肉を特に訓練する統一式運動法を行うと、
全身の筋肉がくまなく活動し、
動作のキレがよくなります。

身体各部から発信される刺激に対応して、
脳下垂体のうかすいたいから副腎皮質ふくじんひしつへと、
ホルモン分泌の指令が出ます。

すると「よし、やるぞ」
という気力が充実してきます。
その上に、拳を前に、左右に、後へと
気力をこめて突き出す積極体操を行うので、
気力の外への表現も活発になります。

文章で書けば長いですが、実際にやってみると、
三十分もあればできることです。
それなら、なぜ三十分早く起床しないのか。

朝、グズグズしていて、
文句ばかりいっている人間と、
テキパキと朝の行事を行い、
生命を躍動させている人間と、
差がつかないはずはないです。

積極人間は、生命の法則に従い、
心身を訓練していくので、
朝から心は爽やかに、
身は力強いのです。

イッキュウ
イッキュウ

私イッキュウも、朝の一連の行事を、

もう二年近く実行しています!

イッキュウ
イッキュウ

おかげで、頭脳明快、食欲旺盛、
身体に軽やかさと柔軟性があり、
キレとシャープさが備わっています!

心は、颯爽潑剌として、元気いっぱいです!!

イッキュウ
イッキュウ

キーワードは、

実践継続」です!!

積極的連鎖反応

朝、呼吸法を行い、運動法をするので、
神経系統は活発化し、内臓機能も活き活きとして、
栄養の受け入れを待ちます。
ですから、朝食が美味しいです。

「行ってきます」と元気に家を出る。
「行ってらっしゃい」という妻の声にも、
張りがある。

朝の電車が混むのは当然である。
初めから座ろうなどとは思わない。
立ったまま、電車の振動を利用して、
つま先立ちをして、足の筋肉強化の
訓練の場にする。

「おはようございます」と、
大きな声で挨拶して会社に入る。
この人は会社の活力の源泉です。

仕事はテキパキとスマートに処理する。
ときには課長から、書類の提出の催促がくる。
「課長、書類の提出が遅れて申し訳ありません」と、
爽やかに頭を下げる。

家に帰って妻に、「今日課長から注意を受けたが、
俺のミスだったよ。書類ができていたのに
提出しなかったんだ。反省したよ。
やるべきことは、さっさとやるべきだ。
これから気をつけよう。
活き活きと明るくやることにしよう」

「あなた変わったわネ。前には、月曜日に怒ると、
土曜日まで怒っていたのに、今は明るく朗らかに
生きようなんて、素敵な言葉があなたの口から
出るようになったなんて、嬉しいわ。
そういうあなたなら、私どこまでもついていくから」と、
妻も喜ぶ。

「お前がついてきてくれたら、百万の味方だ。
俺は人間の生き方がわかってきたよ。
ここでグングン伸びようと思う。
よろしく頼むよ」と、お互いに激励し合っていると、
娘さんが、「お父さんお母さん。
お茶でもいれましょうか」という。
「いいよ、いいよ。ありがとう。
でも、もう遅いからいいよ。もう寝るとしよう。
お前も寝なさい」という。

同じ家庭でも、消極家庭と積極家庭では、
こんなにも運命が違ってきます。

同じ会社に、同じ日に入社し、
同じ間取りの社宅に住み、
同じ額の給料をもらい、
同じ頃に結婚しながら、
一方は消極の道をいき、一方は積極の道を歩む。

ここで、明暗二筋の道が
わかれてくるのは当然のことです。
いずれの道をとるかは、その人の自由です。
ですがその結果は、自由ではないです。

消極の行動のなかに流される人は、
病み、争い、挫折し、不幸の道を辿たどります。

積極の行動反応のなかに生きる人は、
明るい雰囲気をかもしだし、人間関係も円滑えんかつになり、
仕事も順調に運び、繁栄していきます。

家庭も明るく、子どもも素直に育ちます。
幸福の道を辿ることができます。

人生を生きるには、何としても積極の行動を
積み重ねていくことがカギです。

五、対人態度の積極化

観念要素の更改法では、潜在意識内の
要素の積極化をはかりました。

積極観念の養成法の第一項の
暗示の分析」では、積極的素材の
取り込みに努めました。

第二項の「内省検討」では、実在意識領内で動く、
主として思考の内容と方向を厳しくチェックして、
積極思考を推し進めました。

第三項の「苦労厳禁」では、ともすれば、
実在意識領内で横行する無駄な心の使い方を、
厳しく取り締まりました。

第四項の「言行の積極化」では、思考の表現である
自己の言葉と行動に、積極路線の習慣を
つけることに努力を集中しました。

ここまでは、個人としての、
積極的人間形成の段階でした。

私たちは社会において、
多くの人間と接触しています。
自分以外の他の人々に対して、
どのような態度で接すればよいか、

この第五項の「対人態度の積極化」で学び、
実践することにしましょう。

対人態度の重要性

私たちは社会生活をしています。
日頃多くの人々と関係を持ちながら、
生活をしています。

他の人々と交際するときの態度は、
あくまでも積極的であらねばならないです。
なぜなら、他に向かっての言葉や行動は、
先方にとっては他面暗示となります。

こちらの言葉や行動は、相手の人を勇気づける
ことにもなりますし、また一方、相手を傷つけ、
挫折させることにもなります。

また相手に対する言葉も行動も、
自分にとっては自己暗示となります。
ですから、自分の言葉や行動は、
他を左右してかかりますが、
また自己へも影響を与えずにはおかないです。

それほど対人態度は重要なものですから、
どんな時でも、またどんな場合でも、
積極的態度を堅持して他に接することが、
第一の心得であり、基本です。

世間では、人の病気や不運や困難を聞いて
一緒に泣いている人がいます。
こんな人を、人々はなさけが深く、
親切な行為だと思っているようですが、
とんだ誤りです。

「同情」はよいことであっても、
同情のかきを通り越して一緒に泣くことは、
消極人間を二人つくることになり、
何の益もないです。

悲しむことは、病気の回復を遅らせ、
運命の扉を閉ざすようなものです。
悲しみでは、幸運の扉は開かないです。

本当にその人のことを思うなら、
たとえその人の耳に痛くても、
病にも負けず、不運を乗り越えていくよう、
激励し、力になり、善導ぜんどうしてあげるのが、
親切な対人態度です。

実際このような人間関係が、長続きします。
世間並みの、低俗ていぞくな常識に
惑わされてはならないです。

「対人態度はあくまで積極的であれ」
という基本的理解のもとに、
対人態度の実際を具体的に
身につけることにしましょう。

病人に対する態度

病人は、神経質になっています。
人の内緒話ないしょばなしにも聞き耳を立てます。
そして、自分のことを話しているように
受けとります。しかも、少しのことでも
大げさに感じます。

病気見舞いは、細心の注意を要するのに、
不用意な言葉づかいをする人がいます。

「大した病気ではないと思って参りましたが、 
こんなにやつれて、大変でしたね」

「病気は何なの?腎臓病?うちの従兄いとこ
去年の秋に腎臓病になって、そのとき
受け持ちの先生がいってたけど、
むくみが全身に広がると間がないんですって。
少しむくんでいるようだから、気をつけてね」

注射にはいろいろありますが、
いちばん激しい注射は、
耳から入る言葉の注射です。

いきなり脳に入り、その人の心に
強いショックを与えます。
消極言葉は、毒薬注射と同じです。

見舞い客は、毒薬注射を何本も
打ち込んだことになります。

患者は、毒薬注射を何本も
打ち込まれたことを知らないです。
「知らない」といっても、
そのまますまされることではないです。

体を病む患者は、心まで弱っています。
病む人をなぐさめ、激励してあげるのが、
お見舞いというものです。

「心配して来たけど、顔色いいね。
まだ退院しないところをみると、
きれいな看護師さんでもいるのかな」

「いや、そういうわけでもないけど」
と、冗談でもいい、笑い合っただけでも
神経系統は活発になり、
病から回復しようとする自然治癒能力は、
活性化されるのです。

「早く治って会社に来てくれよ。
君の入院で君の存在価値を思い知らされたよ。
君は大きな分担をしていたんだね。
退院の日をみんな待ってるぜ」と、
元気づければよいのです。

刃物で人を刺すだけが、傷害ではないです。
消極的な不用意な言葉でも、人を傷つけます。
病む人への言葉づかいは、
くれぐれも心せねばならないことです。

母親の態度

積極的な言葉を使い、積極的な行動を
とるという積極反応形式は、
幼少の頃から大脳に
定着させなければならないです。

その点で、母親の態度は子どもに直接に、
しかも重大な影響を及ぼします。

幼稚園に子どもを送っていく
母とその子を観察していると、
一月、二月の酷寒こっかんの朝、
「寒いわネ、風邪ひきそうネ」
という母親に手を引かれ、
毛糸の襟巻えりまきを二重に巻いて、
ブルブル震えながらついていく子がいます。

一方、「北風吹きぬく寒い朝も~、
心一つで暖かくなる~」と歌いながら、
胸を張って歩いて行く母子もいます。

消極的な言葉と態度は、子どもの脳には
毒物のように作用します。
積極的な言葉と行動は、子どもの脳には
価値高い栄養となります。

子どもに対する態度は、いつも積極的にと、
充分心しなければならないです。

家庭内の態度

子どもといい、妻というも、
自分から見れば他であります。
最も近い他です。

妻や子に対する態度も、一貫して
積極的でなければならないはずですが、
世の夫の態度は、はなはだ消極的です。
夫が妻と交わす会話が少ないです。

妻が子どもについて相談しようとすると、
「うるさい、子どものことは、お前に任せたはずだ」
と、取りつく島もない。
妻は寂しく、むなしい気持ちになる。
こんな夫に対して、妻の不満が鬱積うっせきする。

学期末、子どもの成績表を見て母親は、
「何てひどい成績なの。頭が悪いのね、
お父さんに似て」と、復讐ふくしゅうする。

夫は「子どもの悪いところは、みんなお前に似ている」
と、妻にやり返す。

夫婦不仲の犠牲となるのは、子どもです。

夫にいつも頭から押さえつけられている妻は、
その鬱積うっせきを晴らす機を狙っている。
夕食後、ごろりと横になっている夫を見て、
「ひどいわね、お父さんのこの格好、
なんてだらしがないんでしょう。
お母さんは、こんなお父さんと一緒になって、
後悔してるんだよ」と二人の娘にいう。

娘も、「いやなお父さん、格好悪い」
と口を揃えてはやし立てる。
うたた寝のなかで、こんな会話を耳にした父親は
「こんな家族のために、なんで汗を流して
働かなければならないのか」と、
働く意欲を喪失してしまう。

いかにも一家を牛耳ぎゅうじっている母親に見えますが、
愚かな主婦です。夫の心を踏みにじり、
子どもには、父親に対する悪い見本を
示しているようなものです。

母親こそ、夫のため、子どものためにも、
積極的表現をすればいいのです。

「お父さんは今、休憩中なの。
一日中お父さんは暑いなかで汗して働いて、
私たちを支えてくださっているのよ。
この間お父さんは、お前たちを短大に
行かせてやりたいといってたわよ。

お父さんは大切な人なのだから、
ゆっくり休んでいただきましょうね。
お父さんに枕をもってきて、
何か薄い物でもかけてあげて。
お父さんを大切にしましょうね」

という母親の言葉に、「お父さん、枕よ」
「お父さん、これかけてね」と二人の娘に
いたわられれば、父親は涙が出るほど、
嬉しいことでしょう。

「この娘が嫁に行くときには、
まとまった物を持たせてやりたい。
もう一働きも、二働きもするぞ」
と、父親も意欲を出すことでしょう。

母親は、夫をいたわりながら、
子どもたちに、父親に対するよい態度を
教えていることになります。

積極的な態度が、
幸福な家庭を築くのです。

夫婦の会話

夫婦の間の会話や態度は、
子どもたちにも影響を与え、
いつの間にか一家の気分と
行動形式を作り上げてしまいます。

これが家風となります。
その基礎となるのは、
夫婦の会話です。

「あなた、お月様がとてもきれいよ。満月よ」と、
妻はロマンチックな気分でいう。
「明日になれば、欠ける」と夫はいきなり
ぶち壊しにかかる。

月は満ちたり、欠けたりするから
美しいのです。

せっかく妻が「お月様がきれいよ」と、
いってくれたなら、「ああ、きれいな月だな。
やはり秋の夜の月と、昔の人はよくいったものだね。
よく澄んだ月を、久しぶりに見たね」といって、
なぜ、妻と肩を並べて、二人して月を見ないのか。

「妻と一緒に美しい月を見る」
これが幸せというものです。

一円のお金をかけなくても、
幸福はいくらもあります。
人々は幸福を見つける眼、
いや心を持っていないのです。

「お帰りなさい。お風呂が沸いてますよ」
の一言、二言に、愛情がこもっているのです。
「お月様がとてもきれいよ」ということは、
「あなた好きよ」ということと、同じです。

言葉はただ用事が足りればよいものではないです。
言葉は、心と心を結びつける大切なものです。
言葉を交わさない夫婦は、
心のつながりが薄れていることになります。

いたわりのない夫婦、
心の通い合わない夫婦は、
たとえ同じ屋根の下に寝起きしていても、
オスとメスでしかない動物です。

人間ならば、いたわりのある、
愛情のこもった言葉づかいを
しなければならないです。

心なき言葉の暴力は止めることにしましょう。
積極的な愛情の言葉から、
幸福な家庭を築いていきましょう。

世間では、男でも女でも、
口害をまき散らしている人は多いです。
人類のみが持つ言葉を、悪用してはならないです。

対人態度のなかで、私たちの言葉や行動が、
いかに消極的であったか、
痛切に反省させられたことと思います。

「深く考えもせず、上顎うわあごと下顎のぶつかり放題、
不用意に消極言葉を発するものではない」

天風さんは、言葉づかいについて、
強くいましめられたそうです。

消極的対人態度のために、
どれほど家庭が不幸になり、
人間関係がゆがめられ、
社会が住みにくくなるかわからないです。

言葉や行動が他に与える影響の
重大さに目覚めた私たちは、
対人態度を積極的に堅持し、
明るい家庭と、住みよい社会の建設に向かって、
努力しなければならないです。

六、正義の実行

積極観念の養成法の第六項目は、
「正義の実行」です。
心を積極化する今までの五つの方法は、
理論もわかりやすく、
また明るい笑いのうちに
実行しやすいものでした。

ですが第六項目の「正義の実行」を見て、
これは大変なことだと
困惑する人が多いと思います。


第一に、何が正義かわからないです。

正義とは

戦後、思想の自由から、
続々と政党が結成されました。

社会党は、社会主義こそ、
人々の味方であり、正義であるといった。

共産党は、わが党こそ、
民衆を救う正義の党であると叫んだ。

自由党は、人間の自由を護る自由主義こそ、
正義であると主張した。

しかし、相反する正義が、幾つもあってよいものか。
また正義と正義が互いに闘争して、
殺し合ってよいものか。

正義は、自分の主張や行動を
正当化する口実に過ぎないのか。
「一体、真の正義とは何か」。

天風さんは、
「力も主義も、相対的なものである。
相対的なものに基準をおくと、 
対立し闘争を招く。相対的なものは、
真の正義ではない」と断言され、
さらに語をついで、

「真の正義の基準となるものは、
人種や階級や主義や力を越えた、
絶対的なものでなくてはならない。
それこそは、人類に共通する普遍性と
真実性をもったものでなくてはならない。
それは一体、何か」といわれた。

本心良心

「それは、人種や階級を超えて、
人の心のなかで最高に進化した、
純粋な心、本心である。」
本心が正義の基準である。
本心に準拠した行動が正義の行動である」と、
天風さんは力強くいわれました。

「本心が、道徳的心情として
表現されたものが、良心である。
本心、良心は、誰にでもある」
と天風さんはいわれました。

すかさず、「泥棒にはないでしょう」。
「あるから夜来るんだ」と天風さんは
打ち返される。

泥棒も、ほほかむりをして、
夜しのんでくるところを見ると、
自分でもよいことをしているとは
思っていないのです。

昼間の泥棒も、
人目をはばかっていることは確かです。
人間に、本心や良心が無かったなら、
白昼堂々とトラックで他人の物を
運び去ることでしょう。

殺人犯も、崖に向かってヨチヨチ歩く
子どもを見たとき、
思わず抱きしめるでしょう。

凶悪犯罪を犯してしまった人の
心の奥にも、本心、良心は、
明らかにあるのです。

霊性心

またこの本心は、人類が社会生活のなかで、
人間関係をよりよくする心として、
尊び、発達させてきた心です。

本心は、清く、尊く、強く、正しい心です。
本心のはたらきは、思考ではないです。
思考は理性のはたらきです。

本心のはたらきは、直感であり、ひらめきです。
私たちが、本心や良心にそむくような行動をすると、
何かしらうしろめたさを感じ、
慚愧ざんきえない気持ちになります。

本心、良心にかなった行動をすると、
私たちは、爽やかな喜びを感じます。

人間の心のなかには、さまざまな心があります。
食べたい、欲しいなどの本能心、
嬉しい、悲しいなどの感情心、
理解し、比較し、検討するなど、
思考する理性心などがあります。

これらの心以上に、進化した、
高級で純粋な心が本心です。

天風さんは、本心と良心を、
霊性心といわれました。
霊とは、清らかで尊く、
霊妙なはたらきをするものという意味です。

この心が、心のなかでいちばん本質的で、
真実な心ですから、
真心まごころまこと心、まこと心といいます。
この心を、価値高く尊んだ日本人は、
大和心やまとごころ」といいました。

この心は、日本人だけが
特別に持つ心ではないです。
人類が共通に持つ純粋な心です。

この本心から、なさけ、思いやりの心と、
行動が出てきます。
また正直や親切という行動として、
表現されます。

このように、本心に準拠した心情と行動が、
正義というものです。
本心に基づく正義は、
普遍性と真実性をもつものですから、
そこには対立や闘争は、
影を消すことになるのです。

本心の煥発

人間は誰しも、本心や良心を
そなえているものではありますが、
本心が活発に表現されている人と、
心の雑草のなかにまぎれて、
そのはたらきが活性化していない人もいます。

心の雑草とは、雑念や妄念です。

雑念、妄念とは、本能や感情や
理性の心のなかで、消極的なものや、
度外れたもの、またこだわりや
とらわれをいいます。

心の修行の第一歩は、この雑念や妄念を
除去することです。

イッキュウ
イッキュウ

雑念とは、気を散らすような不要な考え。

妄念とは、迷いの心、誤った心の思い。

という意味です!

天風さんは、「観念要素の更改法」や、
「積極観念の養成法」を教えています。
この法を実践していると、
いつしか心は積極化され、
雑念や妄念が次第にその姿を消していきます。

すると本心は発現しやすくなるのです。
それは丁度、鏡の汚れをぬぐい去ると、
鏡の本来の機能が充分に発揮されるのと、
同じことです。

また天風さんは、雑念、妄念を一挙に除去し、
心を一心から無心へと導き、
本心を煥発かんぱつする「安定打坐法(天風式坐禅)」を
教えられています。

イッキュウ
イッキュウ

煥発とは、優れた才能が外に

あふれ出ること。という意味です!

イッキュウ
イッキュウ

これらを実践継続して、
人生で起こるすべての問題を

解決して行きましょう!!

これらの方法を怠らず、入念に実行していると、
黒雲のような雑念や妄念が吹き払われて、
中秋の名月が、煌々こうこうと輝き出るが如く、
本心が発現されてくるのです。

イッキュウ
イッキュウ

天風式坐禅法は、最強の道具です!!

これを使いこなして、

人生を切り拓いていくのです!!

この発現された本心に準拠して、
正義の行動をしていけばよいのです。

人間の肉性や理性を正しく行使していくものは、
本心、良心の霊性です。
霊性の欠如した肉性は、暴力になります。

霊性の統御のない理性や科学は、
地球と人類を壊滅かいめつさせることになります。

正義の実行は、
あまりむつかしく考えることはないです。
気がとがめたり、心にやましさを
感ずることをしないで、
人々に思いやりの気持ちをもち、
老人に席を譲るなど、親切な行為が、
身近な正義です。

そして心に、いつも爽やかさを
感じて生きていきましょう。
正義の実行は、心を積極的にする
有力な手段となるのです。
常に正義の実行を心がけていきましょう。

まとめ

積極路線の確立の六つの方法。
日常生活の心得

これを毎日実行していると、実在意識に、
積極的な思考、 言葉、行動の習慣がつく。

暗示の分析
・他人の言葉や行動のなかの消極的な事柄に、
 自分の心を同化させないこと。

・自分が他人の言葉に動かされていないかを考査する。

・他人の消極的な言葉に動かされてはならない。

・どんな場合にも、自分の心は、しっかりと自分で
 積極的に堅持しなければならない。

内省検討
・人生に生きる瞬間、瞬間、何事をするときでも、
 自分の心の態度が積極的であるか消極的であるかについて、
 自分が試験官になって、おごそかに、自分自身の
 気持ちを検査すること。

・自分の心のなかに消極的なものを感じたならば、
 断然それを心のなかから追い出してしまわなければならない。

・何でも自分が今考えていることを肯定してはいけない。

・自分が現在考えている事柄を、同情や批判を乗り越えて、
 積極か、消極かということを断定すること。

苦労厳禁
(過去苦労)
・過ぎ去ったことを、後悔ばかりしないこと。

・「あのときに、やっておけばよかった」と、
 何もやっていないことに後悔しない。

・心が過去苦労を始めたら、すぐ気づいて、
 苦労厳禁の断固たる命令を出すこと。

・連想法で、楽しく明るいことの方に心を
 振り向ける努力をすること。

(現在苦労)
・現在ただ今の人生に対する現在苦労に、
 心を無駄に使い悩まない。

・無駄なことに心のエネルギーを使うので、
 よい方に心がめぐらない。

・心が消極思考に引きずられると、
 身も心も消耗するだけ。これを許しておくと、
 消極思考のクセがつく。

・「現在苦労やめ!」と大喝だいかつし、楽しいことへと
 思考を誘導していくこと。

(未来苦労)
・これからのことを悪く想像し、悲観的に考え、
 さらに絶望的に考えない。

・消極思考の想像の積み重ねは、身も心も疲れ果ててしまい、
 これほど無駄な心の使い方はない。

・未来に向かって心を使うときは、
 明快な頭脳と積極的な思考で行う。

・未来苦労をしている自分に気がつけば、
 「無駄な心の使い方を止めよ」と一喝、
 日常のなかの小さな幸せの種を見つけること。

(心は現在を要す)
・過ぎ去った過去のことを悔やんでも仕方がない。
 未来のことを消極的に想像して、悩んでも仕方がない。

・「さしあたる、その事のみをただ思え、
 過去は及ばす、未来知られず」。
 現在ただ今に生きる以外に、生きることはできない。

・現在を正し、充実して活きることが、
 悔いのない過去を創ることになる。

・正しく充実した現在は、輝く未来を創ることになる。

・過去の結果として現在があり、
 現在は、未来を創る原因となる。

・現在、ただ今を充実させて活きればよい。
 これが、心は現在を要すということである。

言行の積極化
・積極的要素を、思考、言葉、行動として表現していく。

・明るい、活き活きとした言葉を使っていると、
 思考も、明るく、爽やかになる。

・思考が明るくなれば、明るい、豊かな人生を
 建設することができる。

・言葉、行動、思考、心、人生、
 これは、重大な関係をもつものである。

対人態度の積極化
・他の人々と交際するときの態度は、
 あくまでも積極的でなければならない。

・他に向かっての言葉や行動は、
 先方にとっては他面暗示となる。

・相手に対する言葉も行動も、
 自分にとっては自己暗示となる。

・自分の言葉や行動は、他を左右してかかるが、
 また自己へも影響を与えずにはおかない。

正義の実行
・どんな場合にも自分の本心良心に背いてはいけない。

・人生に失敗している人のほとんどは、
 自分の心をあるがままの感情や感覚で、
 自分の心をわがままな状態に働かせて、
 やり損なっている。

・本心良心は理屈を超越して、本然ほんぜんの心で裁く。

・正義の実行は、気がとがめたり、
 心にやましさを感ずることをしないで、
 人々に思いやりの気持ちをもち、
 老人に席を譲るなど、親切な行為が、
 身近な正義である。

イッキュウ
イッキュウ

「本心良心」、本心とは、人間の本性から
湧き出る、汚れのない清らかな心。
この本心から道徳的に発現してくる心が、良心。
です!

イッキュウ
イッキュウ

「本然」とは、人手を加えないで、
自然のままであること。です!

心身統一法のステップ!

STEP1 観念要素の更改法

    一、自己暗示法

    (一)連想暗示法

    (二)命令暗示法

    (三)断定暗示法

    二、他面暗示法

STEP2 積極観念の養成法

    一、暗示の分析

    二、内省検討

    三、苦労厳禁

    四、言行の積極化

    五、対人態度の積極化

    六、正義の実行

STEP3 神経反射の調節法

STEP4 精神使用法

STEP5 精神安定法

イッキュウ
イッキュウ

今日も一日、明るく朗らかに、

活き活きと愉快に、

元気いっぱいで行きましょう!

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